響き合う「レ・ミゼラブル」


心を動かされてその余韻が数ヶ月、いや1年をはるかに越えて続くことがある。ぼくにとってのそれは「レ・ミゼラブル」だ。

ミュージカルの「レ・ミゼラブル」が日本で上映された1990年1月14日。大阪の梅田コマ劇場まで出掛けた。四国の徳島からは、南海フェリーと南海電車を乗り継いでの3時間半の旅となる。ぼくはS席のチケットを買い求め、神戸や奈良に住んでいる知人の女性たちを誘い合わせた(実はそれから1週間後にまた見に行った。いま行かなければ一生後悔すると思ったから)。

二十代前半の頃、新潮文庫から出ているユゴーの小説に夢中になった。美しい女性に成長したコゼットとマリユスがプリュメ街で出会い、微熱のような思いを抱いて、やがて花びらがこぼれるように打ち明ける場面が特に好きだ。コゼットとマリユス、二人合わせても40歳にならない。ほんとうの恋愛はそんな若いときしかできない、とユゴーはけしかけている。

コゼットに思いを寄せるマリユスのような恋愛は、十代の頃に出会った二人の女性。でもそのときは気付かなかった。いまになって思い出してみれば、では遅いのだけれど。

天使のような微笑み、りんごのようなほっぺ。おだやかな性格で笑顔を絶やさない。目を閉じればうっとりしてしまう楚々とした声色。無意識のうちに美少女コゼットの姿とだふらせていたのだろう。

多感な十代に出逢ったからではなく、彼女たちは天衣無縫、でも自らの魅力に戸惑いながらもそのことに気付き、誇らしげに楚々とした花を咲かせていたすばらしい美少女だった。ところが、まもなく住んでいるまちを遠く離れてしまった。それ以後は一度も会ったことがない。

この正月にNHKの教育テレビで四夜連続で「レ・ミゼラブル」のドラマが放映されている。2000年のフランスのテレビシリーズとして製作されたものらしい。で、ぼくはやっぱり、コゼットに目が行ってしまう。演じるのは、1976年生まれのヴィルジニー・ドワイヤン。あでやかでまばゆいコゼットだ。そしてジャン・バルジャンを演じるジェラール・ドパルデュー、ジャベールを演じるジョン・マルコヴィッチも忘れがたい印象を残す。バルジャンの声を日本版ミュージカルで演じていた村井邦男が当てているのもうれしい。DVDも発売されている。


ミュージカル「レ・ミゼラブル」はいまでも上映されている。もう十年を越えたのではないだろうか。初演の頃に観た島田歌穂のエポニーヌが好きだ。彼女の「オン・マイ・オウン」は20代のぼくの等身大として心に響いた。

滝田栄のジャン・バルジャンは言葉にはできない。彼が祈りを捧げる場面では、神が降臨してきたかのような魂の高みがひたひたと場内に響き渡る。あのような舞台でバルジャンを演じれば、すべてをさらけだしてしまうからその人の魂のレベルそのものの演技となる。

ミュージカル「レ・ミゼ」のロングランの秘密は、長丁場のなかにファンティーヌの独白、革命を夢見る若者たちの高揚、ジャベールの苦悩の熱唱など見る人それぞれの宝物が散りばめられているからだ。

CDでは、オリジナルロンドンキャストと日本版のどちらも発売されていてぼくはどちらも持っている。うれしいことに日本版のジャンは滝田栄、エポニーヌは島田歌穂だ。ミュージカルについてもう少したどってみよう。


Les Miserables 。実は日本版にも2種類のライブがある。現在入手できるのはこちら。



Les Miserables - The Musical That Swept The World: A Concert At Royal Albert Hall (10th Anniversary Performance) . こちらは上演10周年を記念してつくられたコンサートのライブ。



音楽として美しいのは、オリジナルロンドンキャスト版。最初に発売されたものだが、残念ながら入手困難になっている。特に「愛の四重奏」についての印象はこのCDからのもの。以下に感想を。


マリウスは、散歩の途中の公園でしばし休んでいく老人と娘の存在に気づいた。それから半年後、娘は美しく成長していた。マリウスはまだ名前も知らぬ少女(コゼット)に想いを募らせていく。

恋の予感に誘われて、庭に飛び出していったコゼット。私は何を探していたの? せきを切って流れるコゼットの独白。
(わたしはもうひとりじゃない どうぞ 見つけ出して!)

コゼットの住所をマリウスに教えてくれたのは、浮浪少女エポニーヌだった。マリウスは有頂天になる。複雑な思いのエポニーヌは、マリウスを連れてコゼットの庭にやってくる。
A heart full of love, A heart full of you …
再開の喜びに浸る二人を上向する音程が揺さぶる。
愛を待っていたつぼみのコゼットと、愛を送る春の雨のマリウス。エポニーヌには夢でしか知らない世界が、彼女の目の前でまばゆい白さで描き尽くされる。

何かを訴えようとするエポニーヌの声を、オーケストラがさっと移調して彼女の魂をどこか遠い国へ連れ去ってしまう。まるでそこへとどまることが許されないかのように。エポニーヌの心の花びらがハラハラと散っていく瞬間である。

やがて、オーケストラさえ鳴りやんで、それぞれの思いが、不安と憧れを昇華させながら空へ昇っていく三重奏となる。

革命を信じる学生。民衆の蜂起を信じて築かれるバリケード。御旗の名前は、フランス大革命。生きて逢うことはないかもしれないと、マリウスはコゼットへの手紙をエポニーヌに託す。

凍てつく夜、エポニーヌは街を彷徨う。銀色に光る雨の舗道をひとり。
(道に迷えばみつけてくれるわ)
マリウスと歩く幻影を抱いて彷徨う。
(あの人いない世界は街も木もどこも他人ばかりよ)
歌いつづけるエポニーヌ。
(愛してる 愛してる……でもひとりさ)

ジャベル警部が変装してバリケードに紛れ込んでいるのが発見された。学生たちは処刑しようと決めた。

そのとき、バリケードを駆け上がってくる者がいる。それは銃に打たれたエポニーヌ、安息地を見つけると倒れこんだ。
(これでいいの)
マリウスの腕のなかで眠りに就こうとするエポニーヌ。もはや虫の息になっている。恵みの雨、つらくないわ…
(そして雨が花そだ…)
最後まで言えなかったエポニーヌの言葉、マリウスが継いだ。
(花そだてる)

ジャンはバリケードに乗り込み、学生たちを助け、長年自分を追いかけてきたジャベル警部の処刑をまかせてほしいと頼み、銃声とともにジャベルを逃がす。

ジャベルは法に従って生きてきた。裁く者が裁かれる者に命を救われる。後にジャベルは、傷ついた若者を背負ったジャンに出会ったが、そのまま行かせた。そして川に身を投げる。

革命は起こらず、バリケードは全滅、学生たちは犬死となり、瀕死の重症を負ったマリウスは意識を失った。だがその時、力強い腕が彼を抱きかかえ、地下道へと消えていく。若いマリウスを命懸けで救おうとする男は、汚水と果てしない暗闇の世界をひたすら歩きつづける。
(死ぬなら 私を死なせて 彼を 帰して 家へ)

時は移り変わり、マリウスとコゼットの結婚式が始まった。ジャンは結婚式を辞退し、マリウスに自分の過去を打ち明けると、家に引きこもった。マリウスもジャンを避けるようになっていた。

しかし、ひょんなことから真実が明らかとなった。マリウスは今や命の恩人が誰なのかわかった。誤解が溶け、ジャンの元に駆けつけたふたりの目に映ったものは…。
  
  暗い影の中で死を待つばかりの俺
  夢にはコゼット現れて泣いた
  夕暮れにひとり、結婚式に祈る
  主よ この子らを抱いて恵みを

ジャンという肉体につながれた魂が重荷から自由になるときが来た。肉体の衰弱がすすむにつれ、魂の気高さが現れ、未知の世界の光が瞳の中に輝いていた。途方もなく大きな天使が翼を広げてジャンの魂を待ち受けていた、とユゴーは結んだ。

ひとは感動があるから生きられる。
2004年にはどんな感動が待っているのだろう。

(2004年1月3日)


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