午後からの海部川
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来週は予定が詰まっているからと仕事をしている日曜日。 でも表通りの午後の光を浴びたとき もうじっとしていられなくなった。 8月下旬とはいえ久々の真夏日、 太陽の光に照らされた海部川の玉砂利が浮かぶ。 手際よく身支度をして14時過ぎに出発。 途中で給油し、国道55号線を南にハンドルを切る。 1時間あまりで海部郡牟岐町。 ここからさらに国道を海沿いに走るのだけれど、きょうは行く先を海部川中流のとある場所と決めてあるので近道をする。 玉笠林道経由で、海部川中流域へ三角形の2辺を行かずに1辺を行く。 国道からしばらくは牟岐川沿いに開けた里山風景で心がなごむ。 途中から1車線となり、山中に入ると林間のドライブとなる。 ガードレールがないところもあるが、心地よい森林浴の時間となる。 国道を離れて十数分、 牟岐川が見えなくなるとヤレヤレ峠(不思議な地名)に達する。 ここを越えると海部川流域になる。 峠は分水嶺。 道沿いに現れた沢は海部川支流の玉笠川。 この支流で少し涼んでいくことにする。 道からすぐに降りられる場所があり、ゆるやかな谷間に午後の日が差していた。 水と光の交錯が好きだ 。トランクからミノルタと三脚を取り出す。 レンズを絞り込む。 シャッター速度が1秒になるので三脚を水のなかに立てた。 樹幹をくぐりぬけた光が浅い水面に微妙な影を落とすとき、 風が演出し影が揺れる。 人工では決して作り出せない水に落ちた光の明滅。 しかも光は一瞬一瞬に表情を変える。 太陽の公転を地上の樹木が拡大して見せてくれる。 本流のとある場所。 ここは海部川本流で一番好きな場所。 目の前に淵があり、子どもの飛び込む岩があり、 対岸には冷たく清冽な沢の水が落ちている。 そのまま流されれば 「海部川川底庭園」とぼくが呼んでいる白砂の川底がすぐ下流にある。 淵の水深は3メートルから4メートルぐらいまで。 水流が渦をまくように淵の周辺の砂底掘れこんでプール状となっている。 ここを抜けると急に川は浅くなり、歩いて渡れるほどになる。 この淵と瀬の組み合わせが絶妙。 竹林のざわめき、 魚の跳ねる水紋とともに川の時間そのものだ。 かつてここはもっとよかった。 道路の拡幅のため、 それまで山際を縫っていた道路が川に沿うように走るようになったのが1995年頃。 そのため竹林ひとやまがなくなった。 この竹林は、道路と川を切り離し、 ヒグラシの厭世的な声が流れる夕刻の静かな時間を感じさせてくれていた。 道がせり出す以前は河原も広く、 しかも玉砂利はテントにとって最高だった。 川そのものはそれほど変わっていないかもしれない。 けれど水が流れる場所だけが川ではない。 この工事でぼくの足が海部川からやや遠ざかった。それほどいい場所だった。 それでも身体を水に預けて浮かんだり潜ったり、 岩盤に沿って淵を沈んでいくと コバルトブルーの水底の石に舞うアユの群れ(淵のアユはなわばりを持たない)がいる。 オレンジ色のストライプを身にまとったウグイ(この辺ではイダと呼ぶ)が反転する。 ウグイは銀色の無地なのだが、婚姻色が出ると彩色される。 からだをほんの10分預けるだけでミネラルを含んだ水に癒される。 水面を飛ぶ赤とんぼを見ていた。 ゆーらゆらすいすーい…。 85ミリレンズのファインダーの水面にすうっと現れる光景に見とれていた。 まだ日は高いけれど、 お盆の川遊びにお世話になった大井の堰の富田まゆみさん宅にお茶を持っていく。 天然アユやらアイガモやらイノシシやらシシトウなどを ご家族と一緒に河原で焼いて食べたのだ。 富田さんの子どもたちは川で遊ぶのが大好きな川がき。 もしかして来年あたり、フォト・エコロジスト村山氏の 川がき写真集でお目見えするかも。 お茶は、上勝町で勝浦川流域ネットワークが行っている棚田の学校〜茶摘み編でできたばかりの新茶。ここのお茶は発酵が独特でからだにやさしい風味を持ち、上勝晩茶という。 中流から下流へとさらに下り、吉野橋をわたると、見覚えあるクルマ。 親父がアユ釣りの帰り支度をしていた。 川に遊んでもらって事務所に帰ったのが20時前。今夜はぐっすり眠ろう。 (2002年8月25日) ▲戻る |