ダムに消えたいのち

 二十年以上にわたって村を挙げてダム計画と向かいあっている村がある。徳島県の那賀川上流に位置する木頭村である。しかし木頭村も、反対運動に多大の犠牲を払った。ダムをめぐる利害の狭間で、村の実務をとりしきってきた温厚誠実な助役が自ら命を絶つという悲劇もあった。

 農林業の普及改善が村の振興につながると信じていた藤田堅太郎さんは、数十年前から村の有志とともにゆず栽培の研究に取り組んだ。その結果、ゆずは木頭村の特産品として定着した。しかし、いいゆずを収穫するには手間がかかる。年々高齢化が進む村人にとって決して楽な作業ではない。そこで、もう一本の柱として堅太郎さんが考えたのが銀杏である。自家所有の山林に三百本の銀杏を植えて試行錯誤を繰り返していた。

 堅太郎さんは助役とともにダム対策室長を兼任し、先頭に立ってダム反対を訴える村長を支えてきた。木頭村は藤田恵村長の下、ダムに頼らない村づくりの一貫として、村の産物を生かした製品づくりを始めた。なかでも大豆ケーキは、健康志向の現代にぴったりの食物繊維の多い低カロリー食品として脚光を浴びようとしていた。

 順風満帆に見えた事業であったが、さまざまな困難に直面した。堅太郎さんは律儀で人一倍責任を背負う人であったらしい。助役としての多忙な日々に加え、工場の実質的責任者でもあった堅太郎さんの心労は限界に達していた。平成八年九月のことである。

 ダム計画が持ち上がってから二十数年。村の将来を担った青年も還暦に達し、天寿をまっとうすることなく力尽きた。地域の意思をどうして国は尊重しないのか。村の助役を殺したのはダムではなかったか。堅太郎さんの死から半年後の平成九年春。建設省は、細川内ダムの建設を一時休止すると発表した。

 ダムを作れば国から巨額の金が入る。しかし木頭村は、ダムに頼らないむらづくりを選んだ。子どもや孫の代まで暮らしていける未来の村を目指して──。
 木頭村にエールを送ろうと、藤田村長のもとには全国から励ましの便りが絶えることはない。

 落ち葉ひとつ海にたどりつけない
 山の神様泣いている
 海の神様泣いている
 川は声を出さずに泣いている


▲戻る