秋の第十の堰
|
澄んだ水、沈んだ流木、陽光が射し込める水底は珊瑚礁のよう。あまりの美しさに居合わせた人たちは声が出なかった。幸運にも第十の堰の潜水に同行させてもらった一日である。 時は大潮の干潮の時刻。船は堰本体に沿って進む。ところが不思議な現象に気づいた。堰直下の川面では、水割りウィスキーのごとく水がゆらめいている。この現象はどこでも見られるが、魚道のない南岸の方が見やすい。 一方北岸は魚の宝庫である。1メートルもあるソウギョが岸辺近くを悠々と泳いでいる。南岸は海水が入ってくるが、北岸は引き潮時にはほとんど真水となる。夏に訪れた時も水底の美しさに驚いたが、水が澄んだ今の時期は息をのむほどである。そして堰直下の苔のついていないさらさらの砂…それは天からこぼれた銀の砂のよう。早明浦ダム下流でこれほど美しい川底を知らない。堰を通過する水が運んでくるのかもしれない。 引き潮を選んで、第十の堰の水際を散策してみよう。この感動は体験してみなければわからない。 十一月というのに、子どもが十人ばかり泳いでいるではないか。手に手に網を持ち、パンツ一枚で潜って魚を追い込んでいる。追われる魚はというと、アマゾンで見かけるような巨体をくねらせて泳いでいる。ここはほんとうに徳島なのかとびっくりさせられる。 第十の堰は、もともと竹の籠に石を詰め、その上に地場の青石を積んだもので、堰の上を水が滑るように越えていき、その一部は伏流水となって下流に湧き出す。 そのため、清流に生息するアユカケという魚や、生態系ピラミッドの頂点に位置するタカの仲間ミサゴも棲んでいる。このことは、餌となる小鳥や魚が豊富であり、さらにその餌となる小さな魚介類やプランクトンが豊富なことを示す。近年では、イセウキヤガラという貴重な水辺植物の日本最大の群落も発見された。また、シジミの産地として潮干狩りの人で賑わう。 人間が堰を造り、川は堰に対して抵抗する。第十の堰は、地震や大水、流路の変遷などの自然環境や社会条件の変化にも柔軟に対応しながら、その時々に応じて堰が延長されたり補強されたりして少しずつ今日の形になった。それを下関大学の坂本紘二教授は「成っていく構造」と呼ぶ。「人工物でありながら、自然に同化しているのが最高の技術である」とも言う。 第十の堰とは、人が川とかかわりながら、持続的に存続させていく仕組みであり、未来に継承していける絶妙の資産なのではないか。二五〇年の歴史がそのことを証明している。 ▲戻る |